どうも、こんにちはおはようございますこんばんは
お久しぶりです、エルエルです
今、何で俺がマジョリティに合わせてやんねぇとならねんだよってなってます(これは言語の話です)
これが今回のトピックです
この文章が読み取れなかったりエルエルは英語を話したくない(ないしは日本語が共通語でないことや英語が共通語であることを嘆いている)と思った人はおめでとう、マジョリティ
先程の文章は「合わせてやっている現状に腹が立っている」というのは容易に組み取れて、じゃあ現状こいつは何の言語使ってるのと考えれば自ずと答えは出てくるというのに、これが読み取れない人もしくは上の不正解を回答とする人が多いのではと
以前のブログやTwitterを見てもらえればわかりますが、無論私はピチピチの日本語話者です
私が今回言っているのはもっと狭義な言語の話で例えばおじいちゃんに「草(ネットスラング)」なんて言っても普通は通じないよね"みたいな"話です(若干違う)
この例に於いて、何故「草」が通じないかといえばそのおじいちゃんはインターネット世代ではないし現状でも「草」を使うコミュニティに属していなくて知るタイミングがなかったから、それだけです
まあ知らんかったらそりゃわからんでしょ、それはそうですよね
もちろんここで怒っている訳でもないです
私は知らないことに対しては基本的に温厚に接します
無知は罪ではなく無知を自覚して尚改善しないことが罪だという考え方なので
今回の例だと別におじいちゃんが「草」を知らなくてもどうでもいいし話を聞いて「そうなのね〜」ぐらいの反応でいいんですけど(これはおじいちゃんにとってどうでもよいことなはずなので)、それはおかしいみたいな態度の取り方をしてくると「おっ???」ってなります
その後の展開はその時のお楽しみです
ではもっと他の捉え方をしてみましょう
先程はコミュニティによって使う言葉が違う例を示しましたが論理性(お約束と言った方が適切か?)にも違いがあります
ここで例示するために伏線を仕掛けていて、「草」の話を始めた時にわざと"みたいな"話です(若干違う)と表現しています
"みたいな"というのは「〇〇のような〇〇でないもの」という捉え方をするのにも関わらず「〇〇だ」と捉える人間が一定する存在するのでこういった表現をしました
こういった表現によって話の齟齬が生じることはよくあることで、私は気を許している友人以外には優しく話すように気遣っています(これは友人が親しいからというよりは気兼ねなく楽しく話せるから友人になっているのだと思います)
要するに表現の精密さの度合いもコミュニティによって違うよねって話です
極端な話をすると、赤ちゃんには「泣いてないでちゃんと言葉で相手に伝わるように話しなさい」みたいなことは言わなくて、赤ちゃんにわかるように話したりあやしたりするよねということ
でも私はこういった表現に対しては普通に生きていれば少なくても知ることはできるはずだし備わっているべきでしょという立場を取りたいのでこうやって気を遣うの疲れたなって言うのが今回のブログになります
備わっているべきだろうと思いつつもそれを人に直接言うことは目に余る行為がない限りはないだろうし備わっている人間と話している方が楽しいのでそういう人間とのコミュニティに属してわちゃわちゃやってればいいのかなと思っていてこの意見を押し付ける気はありません、ご容赦ください
まあこんなこと言いつつも先程お約束と言ったように、バラエティ番組で芸能人がボケたらツッコむなど、それぞれの環境での作法みたいなものは大なり小なり存在していてそこはある程度守っていった方がお互い幸せだろうとは思いますしそこにちゃんと適合する努力は今まで通りします
以上おしまい!
来る時に備えよー(ブチッ