十で神童十五で才子二十過ぎれば只の人という言葉がある
これには私も当てはまっていて自分は能がないのかと思っていた
だが事実はさておき、それは些か短絡的ではないかと思ったのだ
私は幼少期どこに行っても頭が良いと褒められていた
実際頭の出来は良く分数を習いたての時期に親に無限という概念を教えられて高等数学でいうところの0に収束する事実に自分で気付くほど有能であった
ただ自分は数学的なことには一切興味がなくむしろ哲学的な事柄が好きだった
今回の例だと無限という概念から、世の中には無限の事象があるのに自分はその少ししか知らないから無知だななどと思っていた
こういう思考が幼少期から好きだったのだ
ただ私には得意なことだから伸ばしたいというような大層なことには全く関心がなかった
流れゆく時間を漂って手軽に手の届く面白いものを楽しむだけで充分だった
私はただそこにある幸せを大切にできればそれで充分だった
手元にあるものだけで自分は満足だったのだ
これが私が平凡である所以だ
私は平凡を望んだのだから
そして尚且堕落の原因でもある
その後に幸せはどこかに行ってしまうのだから
私は今まで縛られていた
昔あった幸せをどのように掴もうか
ずっと悩んでいた
だから遊び道具でしかなかった哲学にのめり込んだし学習も幸せを享受するための手段としか捉えられなくて次第に楽しくなくなっていった
そもそも昔あったものがそのまま取り戻せるはずがないのだからそれを求めていても仕方ない
そんなことにすら気付かないほど周りが見えてなかった
無能とは、平凡とは正しくこのことだろう
例えどんなに凄い能力を持っていたとしてもそれを上手く扱えなければゴミ同然なのだ
だから私は堕落した
だけど今は違う
未来のことをちゃんと考えている
それは以前のような過去を軸とした未来ではなく今求めている未来だ
きっとまた翔べるだろう
だから今日は酒を飲もう
過去が忘れられるくらいに
もう何ものにも縛られないように
私は自由なのだから
えるえる